ブクゑメモ

本読む苔の読書メモ。好きにやっちゃいましょうよ、好きに。

はるはあけぼの

息子が小学校に入学して5年目。変わらないことのひとつが国語の宿題、音読。これを黙って聞くのが、わたしの毎日のお務め。最近の課題は清少納言枕草子』第一段から、春と夏。内心は「大人だからそんなんもう読んで知ってらあ」くらいに上の空で聞いていたのだが、なんせ同じことをある一定期間、毎日毎日毎日毎日繰り返し繰り返し「はるはぁ、あけぼのぉ… よおよおしろくなりゆくぅ…」なんてやるのを聞いていると、こちらも色々考え始める。暗記するほどすらすら読んではいるものの、果たしてそこになんらかの理解はあるのだろうか?どうやっても、ただそこにある文字を、音にして追っているだけに感じてしまう。

なんらかの理解?文字を追うだけ?待て、それはわたしの本の読み方と大差ないぞ。書かれた文字を、ただ追うだけの。深い考察には至ることかできず、走り去ろうとする文字の群れの後を、必死に追いかけている(そして手の届く距離にすら近づけない)だけの。

ぺこん、とへこんだ気持ちで息子に問うと

「最初はわからないけど読んでいるうちにだんだんと意味が分かってくる」

「わからないところはあるけど、全体を通して読んだ時、どこがわかってどこがわからないのかわかる」

「たとえば、春は朝の登校時間がとても気持ちいいし、夏は夜に窓を開けてゲームしててさ、風が吹いてくると気持ちいいよ。蛍はいないけど雨は降ることあるよね」

などと、その都度、いったい分かっているのか分かっていないのか判断のつかない返事をする。これもまた、わたしの読書と同じなのではなかろうか。ひとつの単語、ひとつの表現にこだわるよりまず通読して文脈を、大きな流れを見られるように。いま追っている羊の群れが、盆地の放牧場で草を食むさまを、少し離れた小高い丘から眺めている感じ。それをイメージして本を読む。

とりあえず現時点では、わたしの読書より息子の音読の方が、実りは多い。