ブクゑメモ

本読む苔の読書メモ。好きにやっちゃいましょうよ、好きに。

短編偏愛の日々その3<岸本佐知子編訳『居心地の悪い部屋』>

短編偏愛モード絶賛継続中。もっと短編作家を、もっと短編作品を知りたい読みたいと思っても、狭めるのは得意でも広げるときがとても困る偏愛体質。いったいどこから手をつければいいのやら… そんなときはアンソロジーに頼る。アンソロジーは「誰かが選んでくれた美味しいものを、少しずつたくさん」と、短編に飢えた読み手にやさしいおまかせ料理のようなもの。今回は以前からTwitterでいろんな方々が薦めていて、しかもわたしの好きな訳者さんである岸本佐知子さんが編訳、ということで選んだ一冊。手に取ると、まず装丁に漂う、なんとなく居心地悪い感じ。これ、とてもいい!

 

居心地の悪い部屋 (河出文庫 キ 4-1)

 

アンソロジーのテーマはいろいろあるが、「居心地の悪さ」とは、なんとも斬新。そしてその通り、どれも、読後になんとも言えない居心地の悪さ。これは、単純にちぐはぐな設定や気味の悪いキャラクターのような、装置のそぐわなさだけから生まれるものではない。

 

たとえばエヴンソン『ヘベはジャリを殺す』は、繊細な描写で綴られた、登場人物ふたりの間で交わされる会話が、タイトル通りの展開で進んでいく。「殺す」という言葉に続く、描写と会話から分かるヘベとジャリの親密さに、じんわりとした居心地の悪さを覚える。また、ヘベとジャリの間にはさらになにか、読む人それぞれの解釈に委ねられるなにか、が隠されている。現れてこないそのなにかにさえ、うっすらと居心地の悪さを感じる。なぜヘベはジャリを殺すのか。なぜヘベとジャリは、ジャリのまぶたを縫いつけることにこれほどまでに執着するのか。なぜヘベがジャリを殺すという行為が、二人の間で、まるで手順の誤りを許されない儀式のようですらあるのか。そのすべてになんとも言えない居心地の悪さがある。そこには、なんらかの関係性にあるとても近しいふたりの間に起こるプライベートなやりとりを覗き見ているような、そんな居心地の悪さすら、ある。そして… ヘベがジャリを殺すのか、ジャリがヘベを殺すのか、わたしがヘベとジャリを殺すのか、ヘベは自分の中のジャリを殺すのか、ヘベはヘベとジャリを殺すのか…。読み手である自分も含めたこの短編に関わる人々の認知の境界がぶよぶよとしてきて、段々わたしとヘベとジャリを分けるものがなんなのか、曖昧になってくることへの居心地の悪さ。

 

メタフォリカルな一篇があれば、とても短いお話のような一篇もある。

 

ロビンソン『潜水夫』は、とある夫婦がとあるアクシデントにあい、とある潜水夫と行きあってそのアクシデントを解決し、先に進む話。わたしが短編に求める「オープンな環」の中で起きた出来事を切り出したようなナラティブ。ここでの居心地の悪さは、主人公のものである。読み手は、それこそ「とても短いお話を読んでいるだけ」と表現できるようなちょっとした距離を置いて主人公と潜水夫を眺め、その居心地の悪さを受け取る…のだが、居心地の悪さだけは妙に近い。「気がついてしまった、知ってしまった」居心地の悪さ。うっかり目があってしまった居心地の悪さ。

 

様々な角度から、様々な趣向を凝らして味わえるのが「居心地の悪さ」って!スッキリしないことで味わえる居心地の悪さ。とてもいい。気がついたらみんないなくなっていて自分ひとり、なんだか居心地の悪い部屋に取り残された気分。