ブクゑメモ

本読む苔の読書メモ。好きにやっちゃいましょうよ、好きに。

短編偏愛の日々その4<AMERICAN WIVES 「描かれた女たち」>

短編偏愛モード絶賛継続中、やめられないとまらない。「カバ本」の近くにあったので、ちょっと斜め読みして軽い気持ちで借りてきたのがこのアンソロジー。ど真ん中をズギュンと射抜く、大当たりのすごい1冊だった。

 

描かれた女性たち―現代女性作家の短篇小説集 (SWITCH LIBRARY)

 

異なる年代、異なる環境にある女性たちの短編が10篇。あとがきによると「ナレーターの年齢から多くの位相を作り出すこと」が作品を選ぶテーマのひとつだそうだ。異なる10の視座。テーマの効果は絶大だった。特に気に入った三編を、以下に。

 

1)マーガレット・アトウッド『急流を下る』

急流下りのテストラン。その最中事故に遭い、九死に一生を得たエマの話。事故からの生還、その後の生き方。「私」が知っている「エマという恐れ知らずな女の話」というストーリーとしても「エマに起きた、日常で我々が体験するちょっと不思議な話」としても成り立つ作品。

恐れ知らずの「進化にはあまり歓迎されず」数として「多くはいない」女エマが、急流下りで起きた近似死体験で、より強化された「恐れ知らず」のパースペクティブを引っさげて、さらに先へと進んでいく。アトウッドの筆の妙は、エマを描くと同時にナレーターをも描くことで、ではここに「描かれた女」は一体誰なのか、と問う。アトウッドが描く一人称の語り手が描く恐れ知らずの女エマ。どこかで、気がつく。描かれた女たちはきっと、エマではない。それは私たちなのだ。第三者によって定義された私たちなのだ。そして、だれかに決められた枠内での幸福もしくはそれに当てはまらないことによる不幸、そのどちらも感じさせないエマの生き方。

 

2)エリザベス・タレント『移民の夏』

「わたし好みの短編」を形にしたら、きっとこのタレント『移民の夏』になる。主人公の目がまるでカメラになったかのように移動し、読者は彼女の目を通して映る夏を見る。それは、切り出された「シシーの夏」という時間のクロースアップシークエンス。映し出される風景、空間、そこに漂う香り、音、手触りは言葉の連なりとなって届く。形容詞を主とした表現と「カメラ」アングルの切り替えがオーガニックなシークエンスでもある。映像を喚起させる描写に徹することで浮かび上がる、キャラクターの心理。ここでもまた、語られないことにより、語られていることが鮮やかになり、そして語られないこともまた、際立つのだ。

 

3)アリス・マンロー『マイルズ・シティ、モンタナ』カナダ人作家アトウッドで始めて、カナダ人作家マンローで終わらせることに意味がない?まさかそんなはずがない。

この短編集のもうひとつのテーマは「新しい人間関係の可能性」なのだそうだ。『移民の夏』とはまったく違う観点から、この作品もまた「わたし好みの短編」。アトウッドで始まりマンローで終わるというこの趣向にいたく刺激され舞い上がり、「わたしはきっとマンローのこの作品と出会うためにこのアンソロジーを手にとったのだ」とタンクで茹でられ死したカバの神々にお礼を言いたいくらい。

とても親密な文章で綴られる、身近な人々の間のディスコミュニケーション。さやさやと風が吹いて、ある葉は地に落ちて、ある葉は枝に残る。そんな静かな文章で、マンローは主人公とその家族とのディスコミュニケーションを露わにしていく。誰かに頼りたい気持ち、尽くしたい気持ちと同時に、本当の自分を探したいという気持ち。ひとつの環かと思わせるようなこまかさで、繊細な螺旋を描いていくかのようなストーリーテリングだった。

 

いまこの本は古書でないと手に入らないらしい。とてもとても、残念。この本を薦めたいひとたちの顔と名前が浮かんでいるのに。