ブクゑメモ

本読む苔の読書メモ。好きにやっちゃいましょうよ、好きに。

ウィリアム・モリス『アイスランドの旅』

紀行文偏愛ゑ。そのなかでもオールタイムベストがこのウィリアム・モリスアイスランドの旅』。ウィリアム・モリス。そう、アーツ・&クラフツの、あのウィリアム・モリス。これは、アイスランドのサーガに魅せられたモリスさんの長年の夢・アイスランドサーガ聖地詣日誌。「アッー!ここはニャールのサーガのグンナルが!!」「蛇舌の!グンラウグ!」「ひゃだッ!めんどりのソーリルの!」と聖地詣でにやたらはしゃぐモリスさん。そしてモリスさんの映像的描写が立ち上げるアイスランドの自然。実際には厳しい旅だったと思う。それを補ってあまりあるモリスさんのテンション。わかるーー!ってなるわたしのエモーショナルリアリティ。つまりですよ。端的に言うと、これはアイスランドサーガ・クレイジーファンガール、ウィリアム・モリスのクレイジーファンガール・アイスランド紀行文なのだ。

とにかく風景描写。モリスさんのパンビジョンがすごい。精緻な再現。詩的。モリスさん、ポエティック IMAX人間。

経由地のスコットランドですでにテンション割高のモリスさん。ウキウキワクワクが止まらないのに隠している。かわいい。この時点ではまだクレイジーファンガールを出しきれていないのだ。7月頭に始まり9月頭に終わる聖地詣日誌。8月11日頃にはウキウキワクワクが疲労に変わりウンザリしちゃうモリスさん。「白状すると」と加えて「ほんとは泣きそうだった」なんて心情吐露。これが紀行文のおいしさなのだ。アイスランドに魅せられる一方で、やたらシラミに怯えているモリスさん。 

行く先々、農家や牧師の家に泊めてもらったりしてる。どうやって連絡・交渉したんだろう?あとは、テント。

落し物するんだけど、それがポニーの鞍頭に留めておいた金属のコップとか川を渡るときにとりあえずポケットに突っ込んどいた上靴とかなの、かわいいモリスさん。それをわざわざ届けてくれる、通りかかった地元の人たちもかわいい。みんな、かわいい。モリスさん、後から「白状すると」ってそのときのほんとのきもちを書くのも、かわいい。

預けていた、日誌やら失くしたくないものが入っていたリュックを、預かってくれていた人が嵐の中で紛失してしまったので「殺してやる」と脅かしてしまうモリスさん。その人が3時間かけてリュックを見つけて戻ってきたら、めっちゃ謝るモリスさん。

新しく雇ったガイドが「獰猛な顔」してるからって「不潔狼」ってこっそりあだ名をつけるモリスさん。あとから、この不潔狼ほんとは穏やかでいい人だった、と付け足してる。モリスさん素直でよろしいが、「獰猛な顔してる」ってすごい言い様だな... ひどい。

「実はオレには隠れた料理の才能があった」んだってドヤるモリスさん。

苔の家じゃん!なにこれどうなってんの?と訝しむモリスさん。

憧れのギャウを息切れさせて上り、「厚着してるし、ブーツが」と言い訳したら同行の牧師さんに「それに太ってますからね」と言われて、ギャフンなモリスさん。笑った。とにかく、アイスランド各地の風景描写の美しさ、鋭い観察力と豊かな表現力、そして時々覗く素のモリスさんが、とても良き。サーガへの造詣の深さも、すごい。モリスさんが出会うひと全員、サーガに詳しいのもすごい。自分の国のことだから当たり前なんだけど。

ちなみにこのモリスさんのクレイジーファンガール熱血アイスランド紀行で、「まいはだ」という言葉を学んだ。槇肌もしくは槇皮。胎の水漏れを防ぐために、隙間に詰める樹皮のことだって。

読み終わってからアイスランド各地の画像検索して「1800年代前半に、よくこんなとこを、馬とポニーだけで!」と驚いた。気候風景だけでなく、睡眠と食事の詳細、出会った人々について外見による第一印象の鮮やかさを記録しているのは、いい紀行文、Good read。オールタイムベストです。

アイスランド大好きなクレイジーファンガールにおすすめですが残念ながら現在絶版なので、図書館などで探してみてください。

それでは、また。

 

ルイス・ノーダン『オール女子フットボールチーム』

※好きすぎてことこまかにストーリーを説明したい、邦訳これしかない作家だからもう居ても立っても居られないというわたしのクレイジーファンガール気質がダダ漏れているので前情報いらんという方は読まないでください。いらんと言う方にも読んでほしいけど、読まないでください。あと読もうとしてくれているみなさま、クレイジーファンガールの厄介さが身に沁みる長さです。やっぱさ、みんな読んでみてもいいんじゃん?

 

天才。

これまでリディア・デイヴィス『話の終わり』(作品社(2010/12/25)岸本佐知子訳)*、ルシア・ベルリン『火事』(「楽しい夜」講談社 (2016/2/25) 岸本佐知子編訳)、クォン・ヨソン『春の宵』(書肆侃侃房 (2018/6/11) 橋本智保訳)などの天才作品がありましたが、そこに新たに加わりました、きましたねこの天才が。天才が書き天才が邦訳した天才な作品がきましたね。天才だらけ。全部天才。読んでる時に上からなんか降ってきて目の前がパァッと明るくなる系の天才。天才。

白水Uブックスより復刊

 

天才による天才の作品『オール女子フットボールチーム』(岸本佐知子訳)は「MONKEY vol.23 特集 ここにいいものがある。」(スイッチパブリッシング (2021/2/15) )初出、アンソロジーアホウドリの迷信 現代英語圏異色短篇コレクション』(スイッチ・パブリッシング (2022/9/30)柴田元幸 岸本佐知子編訳)に収録されています。2023年1月中旬現在、邦訳で掲載されているはこの2冊のみ。

天才ことルイス・ノーダンの天才作品、2023年2月現在わたしの知る限りで邦訳されているのはこの『オール女子フットボールチーム』のみ。ルシア・ベルリンのときのように「どうぞよろしくお願いします」と岸本佐知子さんの方角に手を合わせてます。アメリカでも幻の作家的扱いのノーダンだけど電子書籍化されている作品多。クレイジーファンガール気質のわたくしは原著も買っちゃったわけ!

 

『オール女子フットボールチーム』の舞台は架空の街ミシシッピ州アローキャッチャー。主人公シュガー・マッケリン45歳が語る「あの頃の僕」シュガー・マッケリン16歳高2のときのストーリー。青春の話かな…?

さて!

シュガーくん高2のとき、体育館に新しいスコアボードを買おうということになりまして。そこで2年生のみんなが考えついたのが「オール女子フットボールチーム」。試合のチケットやコンセッションの売り上げを費用に当てようって算段。なかなかおもしろいアイデアじゃないですか?シュガーくんもそう思うわけですが…

見知っていた女子たちがオール女子フットボールチームへと変貌していく様、ユニフォームとヘルメットに身を包み、パッドを付けてガツンガツンぶつかり合う、汗かいたり怪我したりツバ吐いたり手鼻かんだり…シュガーくんはそんな女子たちを美しいと思っちゃう。怖い、でも美しいと。シュガーくんは、内からフットボール選手感溢れてくる女子たちの美しさに圧倒され、その美しさを怖いと感じるんですね。夢中。兎にも角にもフットボール女子たちに夢中。夢中になるあまり頼まれてもないのに雑用係を買って出てここぞとばかりにチームの周りをウロウロする。フィールドに出てライン引く、父兄に審判や点数係をお願いしにいく、みんなの履く靴下が清潔かどうか確認する。シャワーと着替えを終えた女子たちが出てくるのを、ロッカールーム前で出待ちするのがシュガーくんのお気に入りで… え…シュガーくんそれ… かなり…。

フットボール女子たちの立ち居振る舞いがまるで男子のフットボール選手みたいになっていくんですが、シュガーくんは女子ひとりひとり、それぞれの美しさを見出す。そして尊ぶ。ウロウロジロジロしてるのかなりアレだしシュガーくん自身もアレだなってちょっと気づいてはいるものの、離れられない。フットボール女子たちのそばにいたい。怖い。美しい。畏怖と美。シュガーくん…まあ、アレなのに気づいてんならいいけどね…

この辺りでなんとなく、この作品は a) ジェンダーのゆらぎ、b)45歳のシュガーくんのヘキ、 c)シュガーくんがドラァグに目覚めるきっかけ、 d)シュガーくんのセクシュアリティ、そしてもしかしたら e) all of the aboveなのかな、語り手はシュガーくん45歳なので、わたしは(e)なんじゃないかと思ったんですが、そこはすごいグレーなまま進んでいくわけ。

 

2023年からするとなにそれ?だから?なんだけど、この作品は80年代に書かれてるんですよ。40年前にすでに a から e を、なんなら2023年に小説のテーマとして全然アリのものを、こんなにサラッとナチュラルかつフレッシュに(オーガニック野菜か)書いてるルイス・ノーダンほんと天才。

グレーが限りなくグレーであるもうひとつの理由はシュガーくんのダッド。男の中の男。南部の漢。そんなお父さんは年2回、ドラァグするんです。1回は(もちろん)ハロウィンのとき。もう1回はロータリークラブライオンズクラブのチャリティ「女のいない結婚式」。オール南部の漢ドラァグショー。シュガーくんのお父さんは毎年それに出演してドラァグやっているわけ。「ブラックフェイスの代わりに口紅をひくミンストレルショー」とはシュガーくんの表現だけど、そこにシュガーくんの、ひいては南部の漢たちの、黒人と女性に対する差別が示唆されている。だけどシュガーくんのお父さんはなんだかちょっと違う。バカにして笑うエンターテイメント以外の何かがそこにある。「女のいない結婚式」でドラァグを装うお父さんの「女になる」準備の一つ一つをつぶさに眺めるシュガーくんにもよくわからない。けれどお父さんがこのドラァグを非常に真剣に受け止めているのはわかる。

 

スコアボード新調のファンドレイジング、出し物がどんどんエスカレートしてきて、今度はハーフタイムにオール男子チアリーディングチームでパフォーマンスしようって話になる。みんな乗り気なんだけど、シュガーくんだけがこんなの馬鹿げたアイデアで自分は絶対やりたくないと大反対。だけどみんなの「おもしれーじゃん笑えるじゃん」で決まってしまう。ここでもまたあからさまな偏見と差別はただの「笑える冗談」ですね。

にっちもさっちもいかなくなって憤懣やる方ないシュガーくん、当日試合開始2時間前にお父さんの部屋、銃があってお父さんが撃った鳥の羽があってフライフィッシングのルアーがあって、獣の血の匂いがする、小学校までしか出ていないペンキ職人のお父さんの人生全てが詰まった匂い、南部の漢臭のするお父さんの部屋で、グチグチグチグチ文句言う。女の格好なんてバカな奴らがやることだグチグチグチグチ。そうだろダディ?グチグチグチグチ。

息子のグチグチグチグチを黙って聞いてたお父さんは言う。「スカートとセーターと下着を身につける手伝いをしてやる。きっとおまえは自分を美しいと思ったことないだろう。」この一言。自分を美しいと感じるだろう。ノーダンの放つ天才の光が空からパァァッ…と降りてきた瞬間その1です。倒錯でも冗談でも差別でもない。自分を美しいと感じる。容姿の美醜じゃない。内にて自らの美を感じる。美しさ。何度も言うけど、80年代のミシシッピの片田舎だよ?南部の漢だよ?「父さん、これってクィアなの?」これってクィアなの?ここで「クィア」は「変」だけど、2023年のいまアイデンティティを表す言葉になったクィア、この頃は変態とかおかしいっていう差別の意味で使われていると思う。それには無言のダディ。これってクィアなの?ダディのドラァグを見慣れていると言っていたシュガーくんの差別的視線。無言のダディ。自分を美しいと感じることはクィアなのか。

レースのパンティ、ストッキング、ブラジャー、乳首もちゃんと付いてる乳房を模ったゴムの詰め物… グチグチグチグチ言いながらもチアリーダーの装いで試合に出るわけです。そして、天才が放つ光その2。突然シュガーくんは知る。自分が美しいということを。

「僕は突然父が正しかったことを知った。僕は美しかった。ただ美しさの意味が前とはもう違っていた。それは僕が僕自身で、僕の核、まったき中心であること、そして世界もまた世界のままで、その二つは永遠に変わらないということだった。」(岸本佐知子訳)

天才なのは、ここにアロー・キャッチャーの風景描写が入るところ。「それは僕の愛する土地だったーー曲がりくねったヤズー川に抱かれ、ワニとマガモとビーヴァーのダムと水田と大豆とナマズ養殖場をたたえた、この楕円形の土地は。」(同)そんで踊る曲が、お父さんもリクエストしてくれた、「サティスファイド」ですよ。自分自身を知った時まったきものとなる。その瞬間、サティスファイド。何度も言うけど80年代だよ… 天才か… 降ってくる光の中で泣きましたよわたしゃ。

そして、チアリーダーのユニフォームに身を包んだトニー・ピレッリ、オール女子フットボールチームのコーチをしてきたトニー、を美しい、抱きしめて守ってあげたい、キスしたいって思うんだけど、そんな自分にシュガーくんは言う。「僕はレズビアンだったんだ。」2023年のわたしは言う。違う!そうじゃない!そうだけどそうじゃない!そのままでいいんだよ、名前をつける必要はない!それはそのままで!めちゃくちゃ胸が痛くなった。光その3ね、ここ。

45歳シュガーは現在の彼のことを語ってるようでなにもかもグレーのまま明らかにしていない。やっぱり e) All of the above。なにもかもグレー。ありとあらゆる境界が透明になるグレー。全き姿って限りなく透明に近いグレーなのときもあるんじゃないか?

 

天才天才と言ってきましたが、なにがいちばん天才って、この作品、感動の短編!じゃないんですよ。すっげえ変な話なの。シュガーくん16歳すぐ興奮して感情と性欲ごっちゃにして想像しちゃうし。岸本さんて変な話お好きだよねえって改めて思う天才作品だった。めちゃくちゃ褒めてる。

おひさしぶりです

ご無沙汰してます。ゑです。

中学に上がった息子がラップトップのメインユーザーになってわたしが触れる機会と時間が激減したところにコロナ、同時に二度の引越しして子犬飼い始めたりと色々ありましてですねえ。そんなこんなしてるうちにTwitterの過去の読書ログが全部吹っ飛ぶという災難にあい… 心折れてたわけです。

ところが最近メモとりながら本読むことが増えまして。ふと気がついたら息子は高3、イッヌも1歳超えて、あれ?時間あるね?

じゃあ不定期にでもまた始めようかなって過去記事見たら!何書いてんのあんた!小っ恥ずかしい!自分に酔っちゃってんの。

でもあれですね、この頃と今、読み方が少し変わってますね。だから今の感覚で書いてみるのもおもしろいかなと思って。

あと、わたしが死んだあとにこういう小っ恥ずかしいものが残るってのがなんか尻の穴ムズムズして居心地悪いじゃん?未来の自分に嫌がらせだぜ!

というわけでみなさま、もう少しだけお付き合いくださいませ。

ピョン・ヘヨン『ホール』

*作品の内容にガンガン触れてます。ご注意ください。

 

さて。新装開店第一弾はピョン・ヘヨン『ホール』です。これもやはりオススメにハズレなしの友人から。オレたちのピョン・ヘヨン! 

シャーリー・ジャクスン賞2017受賞の本作。泥沼にズブズブ足をとられて主人公と一緒に沈んでいくような、そんなミステリ。

『ホール』は、一言で言うと壮大なマンスプレイニング・クロニクルでした。飲み会の席でうっかりとなりに座っちゃったら「ヨメサンが実家から帰ってこないんだよぉ なにがイヤなんだかわかんないんだよねぇ 経済的には苦労させてないし、家の中のこともそれなりに好きにさせてやってんのにさぁ ブホフェ〜」って酒の匂い振りまいてグデングデンのひとに聞かされて、「オレはこんなに頑張ってんのにすごいのに」を延々と聞かされる。そんな感じ。読後の短観は「いや、そういうとこでしょ」。

ピョン・ヘヨンってすごいなぁと思うのは、そんなマンスプレイナーのオギに語らせておいて、読者を彼の視点に引きずり込むところ。オギの激しすぎる自己愛とミソジニーは物語の進行とともにだんだん明らかになっていくんだけど、わたしはあるときまであんまり意識していなかった。そして、じわじわと増す「ん?ん?」に、ハッと気がつくわけです。自分の中にもミソジニーがあるってことに。オギに抑圧され蔑まれている女性たちを、あえてオギというフィルターを通して仕掛けてくるところ。それがオレたちのピョン・ヘヨン。表層的に「女はこわい」という感想が出てくるような書き方をしてるけど、さてその「女」とは誰が定義している「女」なのか。わたしたちも無意識にその定義を判断基準にしていないか。オギの中にあるものは、自分の中に全くないと言い切れるか。いくつも問いかけています。オギの語りで描くミステリ。けれどオギが語れば語るほど明らかになっていくのは、オギの周りで起きる謎に満ちた出来事ではなく、オギ自身の姿。傲慢さ、自己愛、ミソジニー。語れば語るほど、オギの掘る穴は深く深くなっていく。

「人を人とも思っていなかった主人公がある出来事を通して人としての自分を取り戻していく」という物語の対極に『ホール』がある。取り戻すどころか、どんどん深みにはまってついにそこから出られなくなる話。ちょっとドストの『罪と罰』っぽいですよね。オギにはソーニャがいないけど。いや、最初から最後までいなかった。モラハラで蔑み声を奪い、間接的に、すでに殺してましたから、妻を。最初にこの本のタイトルをみて「ホール?HOLE? WHOLE?」となったのですが、人生を変える大きな出来事が起きても、相変わらず自分の内にある穴をガンガン掘って落ちていくだけの話、結局オギが自分を取り戻せなかった、WHOLEにならなかった話でもあると思うのです。

https://www.e-hon.ne.jp/bec/SP/SA/Detail?refShinCode=0100000000000033838857&Action_id=121&Sza_id=GG

 

新装開店

おひさしぶりです。もうね、書かなさすぎて遠い過去の記憶みたいになってるんですよね。でも、読書は続けていて、読むたびにいろんなことアウトプットしたくなるのです。そこで、考えた。質より継続。これですよ。いままでは(これでも)あらすじとかネタバレを避けるようにしてたのですが、それやめた。書きたいことだけ書く。新装開店だ!

クォン・ヨソン『春の宵』

ブログ継続 決意新たに 年の暮れ そうこうしてるうちに年明けた 字余り

 

読んでくださるみなさま。ご無沙汰しておりました。しすぎでした。

2018年は、新しい生活リズムになかなか慣れず、ブログどころか読書もままならない一年でした。継続を諦めかけていた年の瀬に、予期せず平成最後のボディブロウをくらいまして。これがききましたね。本を読む歓び、復活しました。わたしにとっての読書は、生きづらさを上回る楽しみなのです。復活。不死鳥のように、ですよ。いや、それは分不相応ですけども。とにかく、決意を新たにしたのです。毎年してますけども。ええ。

さて。

春の宵 (Woman's Best 韓国女性文学シリーズ4)

春の宵 (Woman's Best 韓国女性文学シリーズ4)

 

 平成最後のボディブロウこと、クォン・ヨソン『春の宵』です。推薦にハズレなしの友人が勧めてくれた韓国文学。興味はある。けれど、どれから手をつけたらいいのか、分からない。そういうとき、持つべきものはこちらの嗜好偏愛を知っている友ですね。韓国文学最初の一冊がこの『春の宵』でなかったら、韓国文学の味わいや読書そのものの楽しさを思い出さなかったかもしれない。そんな一冊になりました。

 

「始まりが終わりで終わりが始まり」偏愛すること限りないわたし。

bookwyememo.hatenadiary.jp

きましたね。『春の宵』はみぞおちにストレートでした。偏愛どまんなか。

 

表題作『春の宵』

終わりから始まる。療養院にヨンギョンを見舞った二人の姉たちの会話は、この物語の終わりで始まり。それは、いまのヨンギョンとスファンにはもう語ることができない、終わってしまった物語。その終わりを、姉たちは嘆く。こうして、ヨンギョンとスファンの物語は突然に、今までこの物語の外にいた人たちの会話から始まる。このイントロダクションには戸惑った。「え?この人たち、誰?ヨンギョンとスファンはどうしたの?」と何回か読み返してようやく理解できたのだが、実はこの戸惑いこそがこの作品が繰り出す最強のボディブロウ。

視点が移って記憶と時間を遡る。リウマチ性関節炎を患うスファン。重度のアルコール依存症で、肝硬変と栄養失調を併発しているヨンギョン。終わりに向かう二人が出会って、終わるために二人の物語が始まる。

語り手/視点が移り、姉たちからヨンギョンとスファンの記憶へ、終わりから始まりへの時間の移動。戸惑わせておきながら混乱させず、自然に引き込むクォン・ヨソンの筆致!姉たちの会話によって大きく動いた時間の中で、姉たちからは見えないヨンギョンとスフォンだけの物語の時間が、始まりへ終わりへと動く。視点と時間、記憶の入れ子。大きな崩壊の中にヨンギョンとスファンそれぞれの崩壊と、お互いに崩れながら相手の崩壊を支える、崩壊の入れ子。物語の中の物語、時間の中の時間、記憶の中の記憶、破滅の中の破滅。それは、静かに組まれ分解される、入れ子細工。生まれたばかりの子供を夫の家族に奪われた絶望からアルコールに走ったヨンギョン。苦痛を忘れるために飲む酒。忘れるための酒が呼び起こす記憶。ヨンギョンの姉たち、ヨンギョンとスファンが最期の時を迎えるために身を寄せた療養院の人々。二人の世界の外にいる人たちには隠されて、そこからは見えず語られず、そしてヨンギョンからも忘れられる物語。

これだけのものを驚くほどシンプルに語るクォン・ヨソンの筆!終わりから始まった物語。忘れられる物語、組まれ分解され再び組み直されたとき現れるもの。冒頭の戸惑いも入れ子のパーツのひとつだった!ボディにきまるクリーンヒット!ああ、これか!これだったのか!組み直されたものが見えた時、ボロボロボロボロと涙がこぼれた。

そのほか、印象に残ったものをいくつか。

『三人旅行』

キュ、ジュラン、フニ。過去から今をなぞるロードトリップ。別れを決めたキュとジュランの間に何があったのか、二人の間にフニがいて、語られない部分が…やっぱり語られない。ドライブに挟まれる休憩や食事のシーンからフワッと立ちのぼってくるもの。大きな歴史のうねりと三人が見える。

『おば』

「そもそも記憶というものは、言葉と時間を経るたびにもぞもぞ動いて場所を変えるものなのかも知れない」 

夫の母の姉、伯母の記憶。彼女の記憶から私の言葉へ、もぞもぞ動いて場所変える記憶、血という縁の呪縛。解放。

『逆光』

「たとえば過去というものはですね

「恐ろしい他者であり異邦人なのです。過去というものは、もはや修正できない恐ろしい誤字脱字、洗っても取れないシミ、取り除こうとどんなにあがいてもビクともしない、異物なのです。不動の過去を少しでも流動的な物にするために、またずっしりと重い過去を揺れ石のようにぐらつかせるために、ごちゃまぜにしたり隠したり、あるいはなかったものにしようとするのです。僕たちの記憶は、正確とは言えない方向に、かと言ってまったく正確ではないとも言えない方向に進化した、おかしなものなんですよ」

 過去、記憶。言葉は何を留めているのか。進化した記憶が過去を修正しようとする。見えなくなっていく目が見るもの。

 

ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。淀みに浮かぶうたかたは、久しくとどまりたるためしなし。世の中にある人とすみかと、またかくのごとし。

 クォン・ヨソン『春の宵』は、登場人物たちか忘れるために酒を飲み、忘れたい苦しみや哀しみを抱えながら浮かんでは消えるうたかたを、ひとつひとつ描き留めているかのような、静かで強いボディブロウをきめてくる短編集だった。

吹けば飛ぶような読書感想メモではありますが、これからも続ける所存です。シクヨロ!

読了メモ・2017.11

2018年上半期もそろそろって時に、まだ去年の話してますわ。期せずして、ディストピア月間になった11月。

 

末法展』図録

細見美術館

ディストピア偏愛(ゾンビアポカリプス除く)。終末とか末法に目がない。ネットストア販売前に勇み足踏んで、美術館ショップに電話して確認するほど行きたかった。図録で我慢。世界観からの組み立てがすごい。これ以上言うとアレになっちゃうので、とにかく魅了された図録、とだけ。

 

『黒と白』

トーヴェ・ヤンソン

ヤンソン祭後半の部。オブザベーショナル。ミクロにしてパンビジョン。一枚の画を語っているかのよう。『ムーミン谷』シリーズにある「コドモノセカイ」の視点。

 

『墓標都市』

キャリー・パテル

途中から「もしや?!」とイヤな予感。やっぱり!三部作の第一部やんけー!!これは次を待つのがもどかしいやつーキィ!!書物、歴史、哲学。思考と記録が禁じられたディストピア。主要キャラが心身ともに強い女性ばかりなのも、良き。

 

『侍女の物語』

マーガレット・アトウッド

ついに熟成完了!あえて「つらいよ、つらいよ」という事前情報をもらい、心の準備に時間をかけて読んだが、やっぱりつらいもんはつらい。これは、わたしの知っているつらさ。今みんなが身を置いている(押し付けられている)つらさ。ストーリー(つらさ)に引っ張られて客観性が曇るタイプの読者なので、見知ったつらさに耐性がついていたのかもしれない。思っていたより冷静に読めた(当社比)。ただ、時間を置いていなかったら本当につらさに引っ張られるだけで終わっていたと思うので、熟成を待ってよかった。

 

ワルプルギスの夜

グスタフ・マイリンク

悪夢か!次から次へと!出口のない迷宮みたいな終末感に圧倒される。下士官帽の「カワカマス色」がスッと浮かぶあたり、同時代の墺洪軍に詳しい友人の教育の賜物。マイリンクがなぜ登場人物の身なり装いを細かに語るのか。「第一ボタンがひとつ外れている」と書かれているだけで、内面描写になり得る。どうしてなり得るのか、その意味も分かる。友人のおかげ。ありがとう、友人。

 

大航海時代の日本人奴隷』

ルシオ・デ・ソウザ

日本キリシタン史偏愛。タイトルだけ見るとギョッとするが、ヨーロッパの大航海時代と日本キリシタン史を結ぶ一冊。たくさんの史料に一行しか書かれていないような事柄が調べてある。当時の日本と南蛮貿易、想像していた以上に公然と行われていた人身売買。振り返るに、異文化交流から始まったキリシタン史への興味が、宗教・思想史を経て、貿易史に向かうきっかけを作ったのは、この本だという気がする。

 

『嘘の木』

フランシス・ハーディング

深緑野分さんご推薦。わたしの中の「この人が薦める物語は読む」のひとりが深緑さん。なので、読む。読後に「え?!これ、児童文学カテゴリなの?!」と驚いた。『女性を弄ぶ博物学』案件、『科学史から消された女性たち』案件、『魔女・産婆・看護婦』案件。これを児童文学の枠にぶっ込んでおいて、それを超えてくる。なるほど、児童文学が対象とする年齢層のみなさまにこそ読んでいただきたい。

「女性は見目麗しくあるように努め、頭骨は小さく適度に賢くなく、適当な頻度でヒステリーの発作を起こし、唯々諾々と、男性の邪魔をするべからず」呪縛の沼でもがく主人公フェイスの目覚めと成長の物語。溢れんばかりのエンパワメント。でも、大人になってから読むと、「こっちを向いて!わたしを見て!」とかえりみてもらえない子供の必死な姿が、とてもつらかった。

 

『BUTTER』

柚木麻子

Naoさんからお借りして。Naoさんはわたしの中の以下同文。ほかに『本屋さんのダイアナ』しか読んだことがないが、どちらも「男女という二元性、異性との分断、同性との分断と再生」がアークなのかな。シスターフッドを、秘密や痛みの共有よりも、内へ内へと自ら削り、削って削って自分自身を掘り当てる。そうして見つけた自分を、我が半身のような同性相手と、互いにさらけ出しぶつかり傷つけあって、流れる血の中から生まれ直すものとして描く。自分を全て引き受けて初めて、シスターフッドへの切符を手にする。プロタゴニストとアンタゴニストの線引きが曖昧になり、その境界に読者をほっぽりだして振り回す、パワフルな物語だった。ただし、設定に「シンボリックなアレは分かるけど、それはちょっとありがちでないの?」ってのがいくつかあって、そこはちと残念。

 

つらいときにわたしを癒してくれるのは、つらい物語だったりするものだ。