ブクゑメモ

本読む苔の読書メモ。好きにやっちゃいましょうよ、好きに。

岸本佐知子訳 マーガレット・アトウッド短編集『ダンシング・ガールズ』

読んで下さるひとがいるということだけで、すごい励みになります。いつもありがとうございます。今年も偏愛読書を続けていきますので、どうぞよろしくお願いします。

 

さて。去年末にアリス・マンローで後頭部にガツンとヘビーなのを食らったのが抜けきらないまま、読んでしまったマーガレット・アトウッド。『描かれた女性たち』でとても良い組み合わせだったアトウッドの短編と岸本佐知子さんの訳を、また読みたくなったから。

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マンローとは味わいの異なる、世界と語り手の距離感がある。いまここから「どうしてこうなったんだろう」と俯瞰する。対象にスーパーフォーカスして、主語を大きくせずに主観を拡大させる。マンロー風味とアトウッド風味、どちらも偏愛に値するのだが、特にこの『ダンシング・ガールズ』は、どの作品も読後にうっすら、飲み干し切れない何かが残る。温かいミルクを飲んだあとみたいに。

『ベティ』は主語を大きくせずに主観を拡大させ、世代と個人を対照的に見せることで、抑圧された女性と自己解放への道を模索する女性、ベティとわたし、を描き出す。現在のわたしが、振り返ってあの頃、家族でコテージに住んだひと夏、を思い出す。隣のコテージにはフレッドとベティの若夫婦。主人公/わたしも姉も、フレッドに夢中になり、隣のコテージに入り浸る。そして… 時間を往来し俯瞰しながら、抑圧の中に生きる女性の姿こそが自分に道を示してくれた標なのだと言う主人公/わたしのひとこと。主人公の母は、世間が言うところの「良妻賢母」タイプではなく、それゆえに隠されていた抑圧と被抑圧。ただ、それはメランコリックでも示唆的でもない。思わずおかしなところにおかしな力が入るような… 緊張感に似ている。

「ライフルがない!」などと不穏な考えがよぎるほどわたしが感情移入しすぎた『キッチン・ドア』は、この短編集でいちばん気に入った一編。ゾンビアポカリプスの到来に怯えて暮らすわたしには、とてもとてもリアリティがある。51歳になるミセス・バリッジは、そのときがくることを知っている。毎年そうしてきたように、今年もピクルスやジャム、ジェリーの瓶詰めを作りながら、そのときを待っている。準備はできているのだ。「そのとき」はわたしたちの中にあって、解き放たれるのを待っている… そのときがくるのか、わたしたちがそのときに向かって進んでいるのか。原題はWhen It Happensというこの作品はメタファーたっぷり、かつ「マジで!ライフル!」と叫びたくなるほど、揺さぶられ方はリアリスティックだった。

 

この短編集を読んでいる間何度か「この世界はハリボテでできていて、突き破るとそこには得体の知れない恐ろしいなにかが待ち受けている」という気持ちになった。薄氷の張った上をドカドカ歩いているような、そんな気持ち。そして、岸本佐知子さんの編と訳も、今では偏愛リストの上位である。オフコース