ブクゑメモ

本読む苔の読書メモ。好きにやっちゃいましょうよ、好きに。

フランシス・ハーディング『嘘の木』*作品の内容にも触れています*

幼年期の終り Coming of Age は、隠されていた真実を手にする代わりに、何か大きなものを手放す、喪失の儀式だ。同時に「マジョリティ男性」的なテーマだと思う。主人公が持つことを許された立場という設定が前提にある。それでは、そもそも奪われる立場に生まれてきた者は、幼年期の終りに何を手放すのだろうか。

嘘の木

嘘の木

 

ヴィクトリア朝時代、イギリス。 主人公フェイスとその家族は、住み慣れたケントを後に、ヴェイン島へと移住する。牧師で博物学者の父エラスムス・サンダリーの起こしたある「醜聞」が元で。

父の影響で博物学に興味があるフェイス。美しく「女らしい」母マートル。体の弱い弟ハワード。エラスムス、マートル、フェイスとは、なんともシンボリックなネーミング。冒頭の登場人物紹介パート、科学、宗教、そしてこのネーミングで、物語がどこに向かって進んでいくのか、分かったような気になる。そうなんだよ、確かにシンボリックなんだけどさ… 

醜聞の噂はじわじわと、島にも伝わってくる。そして父サンダリーが死ぬ。その死の真相を追ううちに、明らかになる真実とは…

「…これは闘いなのよ、フェイス!女も男たちと同じように、戦場に立っているの。女は武器を持たされていないから、闘っているようには見えない。でも、闘わないと、滅びるだけなの」

 この作品は、奪われていた武器を取り戻し、女も闘っているという事実を隠すのをやめる決意をする少女の、わたしたちの物語だ。これは、敵がいる闘いではない。人生という戦場でサヴァイヴするための武器を、取り戻すための闘いだ。武器を取り戻さないと滅びるのは、女性だけではないのだから。まさに、シービンガー『女性を弄ぶ博物学』『科学史から消された女性たち』案件、ウルフ『自分ひとりの部屋』案件。「自分らしさ」「アイデンティティ」以前に、「女」であることが役目であり、マジョリティ男性から見た「それ以上」になることは許されない。

女は、男性より小さな頭蓋骨に収まった男性より小さい脳が許す限りにおいて、見目よく賢くなく、夫の求める通りに家庭の切り盛りをし(だが経済的裁量は一切ない)、子を躾ける良き母であり、その枠から出ようなどとせず、感情的でヒステリーを起こしていれば、それでいい。主人公フェイスを閉じ込める、女性という性別の檻。その檻の中で飼いならされている母。科学に興味がないのに、父の築いた全てを受け継ぐ約束をされている弟。読みながら自然とフェイスに感情移入して息苦しくなるのは、この生きづらさが今でも様々な形でわたしたちを縛っているから。

物語の中に細かく散りばめられたたくさんの点をフェイスが迎える幼年期の終わりと父の殺人犯を突き止めるミステリーが結ぶ。緻密。そして、真実は突然やってくる。フェイスは、わたしたちは、知る。誰であろうと、奪われ檻に閉じ込めらた者たちは、たとえそうしているように見えなくても、闘っているのだ。それぞれに。最初から奪われた者たちが幼年期の終わりに手放すのは、自分たちを閉じ込めていた檻そのものなのではないだろうか。