ブクゑメモ

本読む苔の読書メモ。好きにやっちゃいましょうよ、好きに。

読了メモ・2017.4

4月。新年度と共に。気持ちだけはいつも前向きなんだけどなー。周りの予定にからめとられてだんだん失速していく、分かっているけどやはりストレス。とにかく、今年は色々と自分以外のことを優先する年だと実感。

 

メルロ=ポンティ 哲学のはじまり/はじまりの哲学(KAWADE 道の手帖)』

身体性認知に興味が出てきたところ、友人に薦められて読んでみる。哲学的アプローチ。業界用語がもりもり出てきて、そこをきちんと通って読んでないので、もちろん途中で詰んだ。ただ、興味を失ったわけではないので、近々続きを読むつもり。わからないことが楽しい、という変な感覚。わかればもっと楽しいんだろうな。

 

『ゆらてぃく ゆらてぃく』

崎山多美

フォネティカルに、と言えばいいのかな、頭の中で音にしながら読むと心地いい。知っているような、あたたかさ。ほっこり、とかではなくて、人肌。生のにおい。

 

『とんでもない月曜日』

ジョーン・エイキン

以前『トムは真夜中の庭で』を薦めてくれた友人から。J.K.ローリングが影響を受けた児童文学作家だとか。然り。ハリー・ポッターの世界観はここからインスパイアされたのかな?魔法界と人間界の交差点であるアーミテージ一家に、毎月曜日ごとに、魔法界がらみのなにかとんでもないことが起きる、という設定。なんとなく『メリー・ポピンズ』(某社の映画ではなく、原作のほう)を思い出した。子供の頃は「イギリス」と聞くと魔法を思い浮かべてワクワクしたものだが、そのワクワクがたくさんつまっている作品。

 

『自分ひとりの部屋』

ヴァージニア・ウルフ

買ってから1年ねかせる、というワインのような扱いで、満を持して読んだ。感想を全部言葉にするのが難しくて、なんだかおちゃらけた感じでしかブログに書けなかったのを、ちょっと後悔している。ウルフの、被害的ではなく、前に進めるような語り口。90年前から届いたエンパワメントの言葉。ウルフリスペクト。

 

『イエス入門』

リチャード・ボウカム

同氏著『イエスとその目撃者たち:目撃証言としての福音』を読みたかったのだが、ただ興味があるだけでは、おいそれと手が出せないお値段。作者名で調べたら、図書館の蔵書検索でヒットしたのがこの一冊。解説には、前述を入門編として要約したものとあった。ブラインドでサーチして当たりを引くと、得した気分。新訳聖書の四福音書を、史料として読み解くアプローチ。入門レベルのわたしにも、集中力が途切れることなく読めた。

 

『遊覧日記』

武田百合子

これもまた、友人たちからの推薦図書。著者の観察眼と表現力。外にも内にも向かう。あっさりした口当たりと、いつまでも残る香り。そんな印象。

 

『華竜の宮』上・下

上田早夕里

SFとFT、あまり日本人作家のものを読んだことがない。おそらく、「設定が自分に近くないものを好む」という、三つ子の魂百まで的なアレ。具合が悪いときにKindle版セールを知って、むしろ設定が自分に近い方が楽だなーという軽い気持ちで。しかーーし!甘かった。上橋菜穂子作品を読んだ時と似た印象。骨太な世界観。読ませる読ませる。グイグイきた。読者に予告なく突然なにかが現れてプロットを押し進める、みたいな展開もなく、すべてひとつなぎ。語り手の視点もおもしろいし、ストーリーによく効いている。地球温暖化という、いま目の前にある危機を取り入れた「起きるかもしれない未来」の話。

 

『《伊東マンショの肖像》の謎に迫る 1585年のヴェネツィア

小佐野重利

自分の情報収集力が及ばなくても、繰り返しつぶやいていると、どなたかが情報をシェアしてくれるという、Twitterの理想的使用法。日本キリシタン史偏愛だ偏愛だと言っていたら、教えてくださる方がいて、発売前から予約。舌舐めずりして待っていた本。いつでも日本はこの世界の一要素であったと確認できるのは、日本キリシタン史偏愛の理由のひとつ。

 

『狼少女たちの聖ルーシー寮』

カレン・ラッセ

表題作はバルガス=リョサ『緑の家』を思い出した。自分の力の及ばない「現実」をどうにか理解しようとする子供の視点。夢現つ、コドモノセカイ。