ブクゑメモ

本読む苔の読書メモ。好きにやっちゃいましょうよ、好きに。

柴田元幸責任編集 MONKEY vol.12 『翻訳は嫌い?』

平積みされているのを横目に通り過ぎる、というのを、数日に渡って、何度か行う。そののち、買う。結局買うのに、どうしてすんなり買わないのか。それは必要な通過儀礼なのか。好きな連載(川上弘美さんと岸本佐知子さん)もあるし、どうせ買うんだし、なんだったら購読しようよ。

MONKEY vol.12 翻訳は嫌い?

毎号なにかとわたしを惹きつけるものがあるこのMONKEY、今号はリディア・デイヴィスノルウェー語を学ぶ』。好きなものは取っておいて最後に食べるタイプの偏食なので、まずは巻頭から読んでみた。食べてみたら好きだった、に繋がったものをいくつか。

柴田元幸 『日本翻訳史 明治前半』

文語体、口語体、それぞれの良さと移り変わりを教えてくれるアーティクル。新しい文体(口語体)に近づけば近づくほど薄まる文語体。文語体の作る独特の要素、世界観を鮮やかにする。文語体を分解し作り直してできあがっていく口語体が展く、新しい世界。文語体が苦手だったけれど、あれれ?食わず嫌いが邪魔していたかな?と感じさせるのは、さすが柴田元幸さん。外国語から日本語だけが、翻訳じゃない。

石川美南/ケヴィン・ブロックマイヤー『大陸漂流』

「陸と陸しづかに離れそののちは同じ文明を抱かざる話」石川美南の詠んだ歌を、ケヴィン・ブロックマイヤーが短編小説として「翻訳」した。陸と陸が離れて行って、またひとつになる話。離れながらひとつであり、離れながらそれぞれに多様化して、またひとつになる。そこからさらに生まれる多様性、懐かしくて新しい文明。いや、こういうポエミィな感想しか出てこない自分、残念だなーと思うくらい、良かった。

小沢健二『日本語と英語の間で』

これは自分でも意外だった。小沢自身の言語習得体験を、自分の子どもの成長と日常に重ねて、翻訳する。日本語と英語の間に生まれる、小さくて確かで豊かなもの。「オーケー、ジャパン」と言う、小沢の清々しさ!ならばそういう世界へ行こう。新しい地平への誘い。小沢にここまで揺さぶられるとは、ほんとに意外だった。

リディア・デイヴィスノルウェー語を学ぶ』

この作家の、言葉に対する試みがわたしを掴んで離さない。『話の終わり』に感じたあのエキサイトメント、ふたたび。

分解する、組み立て直す、まとめる、ふりかえる、続ける。何度も読む。本の余白に書き込む。繰り返し出てくる単語を、ラテン語、英語、仏語、独語など、知っている言語と照らし合わせて、あたりをつける。自分だけの単語帳を作る。文脈から読み取る。自分で文法を作る(!)。何度も読む。

ノルウェー語が分からないのにノルウェーの作家が書いた小説が読みたくて、読む。あるのはその本と自分だけ。そこからノルウェー語を学ぶ… というよりは、自分の中で作り直しているかのよう。

余白に書き込まれた自分のメモを見ながら「私は能動的にページを読んでいたのだ。読みながら書いていく。開きたての、いまだ読まれざるページは美しく、すでに読んだページは美しくなかった。」ここんとこ、グッときましたね。美しくなかった、とは審美の問題ではなく、それは自分自身が混ざり合ったもの、既知のものであるということではないか。自分が混ざり上書きされる。視覚的にそれは別の物語になる。物語を能動的に読むと、それは避けられないことなのではないか。読んで、自分の記憶となるまで思考の中で何度も何度も転がす。もちろんリディア・デイヴィスに感化されて、ラテン語入門者向けの物語本、買いました。

 

翻訳とはなにか?答えを出すためではなく、考えることに繋げて、読んだ。